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修羅場再び?(長文) [なんでこ~なるの!?]

この3ヶ月、大きな心配を抱えていました。

少しずつ気持ちを整理し、気持ちを綴ってみましたが下書きにしたまま私の心とともにフタをした状態で置いていました。少し状況が変わったので、アップしました。    


 

一人暮らしをしている母が・・・おかしい。物忘れが激しすぎるのです。

一体いつからだったのか・・・わかりません。「えっ??」と思ったのは父が亡くなった時、葬儀などの費用をおろしてきたのに、どこに入れたかわからなくなり、数々の書類を書く時に「電話番号、何番だったかしら」と言った時・・・でも、それは一時的なパニック状態だと思っていました。その後はまた普通に戻ったのですが、その後の3年の間に今日は何曜日かとかがあやふやなことはありました。でも、一人暮らしで外に出ることもなければあり得る話かなーと思っていました。(それが予兆だったのか)

お盆に実家に戻った時に、毎年一緒に旅行に行ってくれている親戚から呼ばれました。でも、その瞬間に私はピンときました。何かあったなと。案の定「お母さん、ちょっとボケてきているかも・・・」と言われました。とりたてて、びっくりすることもありませんでした。きっと心のどこかで、いつかそういう日が来ると思っていたからだと思います。自分でも冷静に聞いていたと思います。

 

思い起こせば、父が突然倒れてもうダメかもしれないと電話がかかってきた時もそうでした。「来るべき時が来た」という思いで電話に出ていました。人間、びっくりしすぎると案外冷静なのだと思いました。でも、翌朝のためにお米を洗ってタイマーをセットしてあった炊飯器の中身を捨て、ありったけのお金をかき集め(子供も貯金箱からお金を出し、財布に詰め込んで「ママ、私達もお金あるから大丈夫」と言いました)、荷造りしてタクシーに乗り込んだ後、涙が止まらなくなりました。病室のドアを開ける瞬間の不安と心臓のバクバクは生まれて初めて体験するものでした。「このドアを開けるのが怖い。一体どんな父がそこにいるのだろう」

開けると、想像通り何本もの管がつながれスパゲッティ状態、酸素吸入と機械と大きなイビキ。まさに、生きているというより機械によって生かされているという状況でした。その後数日間生死の境目をさまよった父は、起き上がった時にはうつろな目をしてろれつも回らず意味不明なことを言いながら管を抜こうとしていました。命の次に大事(?)だった、いつも身に着けていた鍵を探すしぐさをしていました。管が鍵をくくっていた紐だと勘違いしたのでしょう。娘は変わり果てたおじいちゃんを見て、ベッドの足元にへたりこみました。脳梗塞と診断され、次に意識がはっきりしてきた時にはボケていました。薬で一時的には体も頭も回復しましたが、その後認知症の症状として言われている妄想・幻覚・暴言を吐く・暴れる・徘徊・記憶の欠落・ショックからくる鬱状態や脳から来る痙攣発作や視覚の欠落・嚥下反応の低下から来る肺炎やあげくの果てには窒息などが次から次へと現れました。もちろん、初めは私達家族もその現実を受け入れることができませんでした。でも、その病気について本を読んだり調べたりするうちに「本人が言うことは間違っていても否定しない(混乱したり、症状を悪化させたりするため)」とか「問題行動にも意味がある」ということを知り、何かあるたびに「父はどうしてこんなことを言ったのだろう」とか「父はどうしたかったのだろう」と考えるようにしました。そういう意味では、優しく接することができたのかもしれません。でも、それは本当に優しかったのかというと、原因は病気にありきで「脳の病気が父にそうさせているから」と諦めに近いものがあったから腹も立たなかったのだと思います。何かのせいにしなければやってられない・・・というのも事実あったと思います。そうでもしなければ、ベッドの上で便をいじった手を眺めている父を怒りもせずに素手でキレイにしてあげるなんて出来なかったし、突然何の脈絡もなく怒りだす父の気をそらすために穏やかに話しかけることもできなかったと思います。父の書斎に山ほど積み上げられた本の中でかなりの割合を占めていたのは「健康」に関するものでした。「老い」や「死」をすごく恐れていたからだと思うのですが、認知症がひどくなってからは「父は病気によって恐怖から逃れられた」と思う事にしました。

 

今回、指摘を受けながらそれらの色んなことが頭の中を巡っていました。「また あの日々がやってくる」「他にも病気はいっぱいあるのにどうして二人揃って『ボケ』なのか・・・」 私にとってはあの介護の日々・・・というよりボケていく家族の姿って結構トラウマなんだけどぉ・・・と思っていました。父の介護では、まだまだ修行が足りてなかったってことなのぉ??

 

全く楽しくない帰省でした。頭の中は「母はボケてきている??」という疑いで一杯でした。信じたくない事実は血のつながっていない人の方が客観的に見ているものです。ってことは、他人にわかるならかなりのもの???

私が滞在している間、母は何度か鍵が無くなったと言い、帰って数日すると泥棒が入ったと言い出しました。これで私は確信しました。弟や叔母に相談すると、やはり信じてもらえませんでした。身内は信じたくないという感情が先に立つのだとわかりました。だから、お医者様は重病の場合身内を手術できないんだと思いました。事実が事実と思えなくなったり、良いように考えてしまう、血がつながっていると仕方がないことかもしれません。

弟や叔母が「そんなはずはない」と言う根拠は「だって、電話したっておかしいことはない」ということでした。でもね、、、数日一緒にいて行動を見ているとわかるのよね・・・

泥棒未遂事件があって私は対策のために飛んで行きました。でも、後で考えるとそれは被害妄想ではないかと新たな疑惑になりました。認知症の人と真正面から向き合いすぎると自分までおかしくなったり、何が正しいかわからなくなることが父のときにもありました。事実は誰にもわかりません。

弟も実際家に帰って一緒に過ごしてみて「やっぱりおかしいわ」と言いました。・・・やっぱりね・・・これで、現実を受け止めざるをえなくなりました。

 

でも、これからどうしたらいいのかなぁ~。だって、母・・・人一倍プライド高いし。これまで大きな病気もほとんどしていないので「病院なんて行ったことが無い」というのが誇りだったし、老眼鏡でさえなかなかかけませんでした。人に見られるのがイヤで、老眼鏡をかけている時に誰かが来ると速攻で外していましたし。トンチンカンな答えをするのは、耳が悪いのではないかと周りの人はわかっているけれど、きっとそれも認めない。補聴器なんて絶対してくれそうにありません。ましてや、脳ドックなんて言おうものなら絶対拒否されます。「お父さんと一緒にしないで!」って思うかひどく落ち込むはずです。プライドを傷つけないように「健康診断だと思って・・・」と無理矢理連れて行くしかないかなー。

 

長い間、私は「何に対して不安を抱いているのだろう」と考え続けていました。

・認知症は治らない(一時期、薬で進行を抑える方法はあります)

・元気な認知症は厄介だ(火の元、徘徊) でも新しい環境に連れてくると余計に悪化しそう。

・終わりがいつだかわからない・・・1年後か10年後か・・・はたまた20年後か。

・記憶が無くなりいずれは意思疎通ができない状態になる(これが一番辛い、自分も忘れられるし)

・病院や施設は元気なのですぐには入れない。

・父の時は、母と2人で介護に当たったのですが、今度は私一人で心細い(弟は忙しいのにあてにでき   ません・・・ああ、もっと姉妹がいたらなぁ・・・って今さらどうしようもないけど)

そして、最大の困ったことは、この自分!!私が母に優しくできない!!父の時には優しく出来たのに、母は見た目が元気な分諦めがつかず、何度も同じことを言ったり探したりしているのを見るたびにイライラのメーターがMAXになってしまうのです。 そして、きつく言ってしまった後、うろたえる母がいて私は激しい自己嫌悪に襲われます。なんてひどい自分・・・

 

でも、介護したくても時間的・経済的にできない環境の人もいるし、そんなことを考えたら自分の思うようにできるだけでも幸せだし、人の命は順番なので親を看るのは当然です。これが、自分の子供ならもっと辛いでしょうし。。。

 

遥洋子さんの「介護と恋愛」という本を一気に読みました。この本は、介護という自分の欲望を抑えて献身的にお世話をする自分と、恋愛という欲望そのものの自分は同時進行で両立できるのかというテーマで、遥さんの介護体験に基づいて書かれています。ハチャメチャなおうちに育った環境こそ違えど、本音で包み隠さず書かれた心情には共感できました。例えば「介護も仕事も恋愛も、どれも捨てられない」というフレーズでは、私も(恋愛こそないものの(笑))旅行・買い物など自分の欲望で自分の心のバランスを保っていましたし、仕事で自分の居場所を確保していた部分もあり、大きくうなづいてしまいました。

介護は家でするのが美徳みたいな風潮もあり、献身的にするのが当たり前と思われているかもしれません。父のときも母は「家で看る」と言いましたが、私は父にトイレで全体重をかけてもたれかかられ、二人揃ってひっくり返ってしまった経験から、トイレひとつにしても老齢の母が一人で面倒を見るのは無理だと思って猛反対しました。弱音を吐かない人に24時間任せるのは危険だと思いました。穏やかに優しく介護するには、まず介護する側の心身が健康でなければなりません。共倒れになってはどうしようもありません。片道3時間かけて週3回通っていましたが、今度介護ということになれば、その時間も介護に回したいので近くで看ていきたいと思っています。任せるところは様々なサービスにお願いする、自分もできるだけ心のバランスを崩さないようにする、を心がけて接していきたいと思います。

鬼娘と呼ばれようとも(笑)私は、やっぱり旅行が好き買い物もおいしいものも捨てられない

私の心が壊れない程度に介護する心づもりにしておきます。

 


3ヶ月の間、行ける時は実家に行き、頻繁に電話し 母は叔母(母の妹)の家に泊まりに行ったり・・・見た目には元気な、そして私以外の前では普通に見えていました。私自身も、夏のボケ疑惑は私の思い込みだったのかもと思うようになってきた矢先・・・

今日、母から自分の体調や目、そして記憶が6月ぐらいからおかしいと電話をしてきました。やっぱりしんどかったんだ・・・優しくできなくてゴメンと思いました。でも、もっと早く言ってくれたらよかったのにと、言いだしにくい雰囲気を作ってしまっていたかもしれない自分を後悔しました。

病院なんか行ったことがないことを誇りにしていた母が病院に行ったことも初めて知りました。

「何もなければそれで安心なんだから、病院で身体を全部 診てもらおうよ。目だけじゃなく、内臓も血も、そして脳ドックもしようよ。記憶がおかしいのは年齢によるものなのか、血管系とか脳の病気から来ているものかわかるし・・・今は初期ならお薬でマシになるんだから。。。心細かったら一緒に行くから」と2ヶ月ほど前に説得してはぐらかされた人間ドック・脳ドックを再び強く勧めました。すると、びっくりするぐらい素直に「じゃあ、病院に電話してみます」と言ってくれました。

ようやくスタートラインに立てただけかもしれませんが、自分から言い出してくれたことで「どうやって病院に連れて行こうか」と悩んでいた気持ちがすっきり晴れました。検査を受けた結果、脳だけでなく他の部分にも恐ろしい事実が出てくるのかもしれませんが、現実を直視していこうと思います。

 


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putarou

読んでいて涙が出てきました。
辛い状況、お察しします。
私も親の看病、介護を抱えています。
身内だから優しくできて当然、は難しいと私も思います。
親も大切だけど、でもでも自分も大切。ですよね、わかります。

誰か自分の他に状況を共有出来て、
肉体的にも精神的にも支え合える人の存在は
必要不可欠だと思います。
自分も大切にしながら、支えていけるよう、
お互い頑張っていきましょう。
by putarou (2007-11-21 09:16) 

うちの両親はまだ若くて、まだ現実味がないのですが、
読んでいてとても身につまされました。
最近、母の兄弟が次々と入院し、母は辛い事ばかりなのですが、
それがいつ母に・・・それはわからないですよね。

身内だから難しいってこと、あると思います。
そういう親の姿を見るだけで、つらいですよね。
こんな言葉しかかけられませんが、
頑張りすぎずに頑張って下さい。
by (2007-11-21 11:03) 

ミー

この3ヶ月、色々考えて不安だった事でしょう。
まずは病院で検査ですね・・・
もしもそうであっても、治療により進行を遅く出来ますし
一部の病気に関しては直る事もあるそうです。

>私の心が壊れない程度に介護する心づもりにしておきます。
私もそうすべきだと思います。
無理をしないで頑張らないで、
ちゃんと息抜きストレス発散なさって下さい。

誰にでも老いと死はやってきます。
私が将来ボケたら子供には看て貰いたくないですねーー
介護のプロに看て貰えるようちゃんと貯金しなければ・・・
by ミー (2007-11-21 21:15) 

ますみ

涙なくして、読むことはできませんでした。
とにかく、共倒れだけは、絶対にいけません。
自分のこともくれぐれも大切にして下さい。
by ますみ (2007-11-23 04:49) 

みちる

コメントで、気持ちがうまく表現できなくて
気持ちよくわかりますって感情をナイスでおくります。

私が父をなくした時は
あまりにもあっけなく、
最後もみとれないまま、
急に私の目の前からいなくなってしまった・・状態だったので
大切な人の
最後を過ごす実感があまりありませんでした。

その後母親との関係は
私のいろんな感情も含めて
あまりうまくいかなくなり、
今でも、時々、母に対して優しく思えない自分を
自分が母になったのになぜ・・って
自問自答しても、抑えられない感情があります。

だから、同じような状況になったとき
どう感じてどう思うんだろうって・・
感じながら記事を読むと、
なんだろう・・やっぱり涙がこぼれて
この涙はどういう感情なのだろうって思います。

応援していますよ
by みちる (2007-11-24 13:48) 

ようこくん

putarouさま

ありがとうございます。putarouさまも介護をなさっているのですね。子育てもされながらで、ご苦労様です。
こうやってブログを通じて同じ境遇の方がいらっしゃるというだけでも心強いです。

私は根が貧乏性なので(笑)忙しい方が性に合っているのですが、これが介護以外に何もなければ、もっと思いつめた状態になると思いますので、子育てや仕事が癒しの場になってくれるのかもしれません。
お互い、これからもがんばりましょう。
by ようこくん (2007-11-24 15:40) 

ようこくん

モカさま

お母様もお辛いでしょうね。
親は自分よりも世代が上ですから、先にいなくなるのは誰でもが覚悟していることですが、兄弟が病気になるのはそれよりも辛いと聞いたことがあります。お母様のこと、大切にしてあげてくださいね。

>身内だから難しいってこと、あると思います。

あるんですよ~(笑) 自分の理性とか感情が抑えられなくなるのは、身内だからこそでしょうね。
モカさんがおっしゃるように、頑張り過ぎない程度に頑張ります!息抜きだけは忘れません(笑)
by ようこくん (2007-11-24 15:44) 

ようこくん

ミーさん

ありがとうございます。
自分は多少なりとも親に何かできればと思いますが、自分に介護が必要になったとき・・・やっぱり、あてにはできないし、あてにするのはかわいそうだと思います。でも、私達の時代には介護も今よりきっと充実しているだろうと期待しています。

検査の予約ができたのですが、田舎なので人間ドックがありませんでした。。。どんだけ~~~!?
父の時もたいそうな検査の時はタクシーで1時間とかの別の市の病院まで行かねばならず、やっぱり、こういう場面で困るんですよね。
by ようこくん (2007-11-24 15:52) 

ようこくん

ますみさん

自分のことを大切にするのだけは、いつでも忘れていないので大丈夫ですよ(爆) ちゃんと、ご褒美もあげていますし(へ へ;)

親が年老いていくのを見て、ああ 自分もそんな年なんだと自覚するのですが、受け入れていくしかないですもんね。頑張りまーす。また、一緒に飲みましょう。
by ようこくん (2007-11-24 15:56) 

ようこくん

piglet-yさま

ありがとうございます。piglet-yさまも、お父様を亡くされていたのですね。
私の家系はポックリ系が多いので、piglet-yさまの突然穴が開いたような気持ちはとてもわかります。

私自身が母に優しくなれないのには、やっぱり他にも理由があり、それは長い間に作られてきた感情なので、頭で優しくしようとしてもどうしようもない部分もあり、また自責の念にかられるという繰り返しです。piglet-yさまがとても優しい性格の方だというのは、ブログを拝見していて強く感じますので、きっと葛藤もおありかと思いますが、少しずつお母様との関係がほぐれてpureな気持ちになれるといいですね。

人とのお別れって、介護していたからよかったとか、あっけなかったから何もしてあげられなかったとか、それだけでは片付けられませんよね。介護していても、後悔する部分はありますし。その時その時をお互いに大切にするしかないのかな・・・と最近思います。
by ようこくん (2007-11-24 16:10) 

やまぴー

最後まで読み終わった時、凄く胸が痛くなりました
親が老いていく・・ というのは当然の事なのだけど、親は何時までも小さい時から見てきた元気な姿しか頭の中にしかないので、現実を受け止めるのは苦しいですよね

お母様に対するようこさんの気持ち痛いほど分かります
私の母が末期癌でホスピスに入院中、痛み止めのモルヒネのせいでボケ症状が出て、意味不明な事を喚く母に対し頭では"病気がそうさせている"と分かっている筈なのに、キツク接してしまいました 
母親だから。。。なのでしょうか

介護は一人で背負いきれるものではないので、介護のプロや周りの方に手伝っていただいて、出来る事を出来る人が出来るだけ・・の気持ちで無理をせず。。。だと思います
私も両親の闘病中、思いっきり周りの人に甘えさせてもらいました^^;
by やまぴー (2007-11-24 16:33) 

ようこくん

hahaさま

hahaさまのお母様はいろんなことを託されて逝かれたんですよね。すごく強い方だと思います。

親は確かに会う度に年老いていってるのがわかるのですが、頭の中では元気な姿のままで、いつまでも死なないような・・・(妖怪か!?)錯覚を持ってしまうのですが、そうもいきません。

親だからしてあげられること、親だから腹が立つこと、両方あると思います。頭でわかっていても、きつく言ってしまうこと、握る手に力が入ってしまうこと・・・、血がつながっているから逆にそうなってしまうのかもと思います。

貴重な経験談、ありがとうございます。
by ようこくん (2007-11-24 17:42) 

そら

ようこくんさん、色々な葛藤でお辛かったでしょうね
そしてお母様も
子供って親はいつまでも元気だと思いたいし、老いを認めたくないのは本人も子供も一緒なのでしょう
逃げたかったり自分の生活を優先させたいのは誰もが持つ感情だと思います
私の母も最近物忘れがあったり、毎回同じ事ばかり電話で一時間くらい話すので、こちらから電話をするのを躊躇することがあります・・・
すると以前はそんなこといわない母だったのに、自分の母が鬱陶しいと思う時期があったから私からは子供に近づかない、心配しないで この言葉は心配してというサインそのものですものね
でも親は子供自身が自分を犠牲にしてまで看てほしいとは思っていないのではないでしょうか?
私たち子供は老いていく親と、頑張り過ぎず、自分でできる範囲内でうまく接していかれればいいですね
本当に難しい問題です こんなことしか書けなくてごめんなさい
by そら (2007-11-25 15:10) 

ようこくん

そらさん

ありがとうございます。本当に優しいそらさんも同じような思いをされていたのですね。うちの母も何度も同じ話をします。まるで初めて話すかのように何度も言うのに気付いた時には凍りました。同年代の人と話す母たちの会話が10分後にはまた元に戻りその後エンドレスで続いていた時にもびっくりしました。
認めたくない、でも心配、時には逃げたくなったりイヤだなと思ったり、複雑な思いを抱きますよね。
そらさんのお母様の「心配しないで」こそ 淋しい気持ちの裏返しなのでしょうね。うちの母は自分からは気持ちを話してくれませんが、周りから「本当は心細いのよ」と言われると胸が痛みます。


>でも親は子供自身が自分を犠牲にしてまで看てほしいとは思っていないのではないでしょうか?

そうですよね。父も病院で元気な時には「自分の生活があるんだから、無理をして来なくていいよ」と言い、帰る時には「いつも すまんねぇ」と言っていました。「すまん」と言われるとちょっとつらいのですが・・・。

そらさんのおっしゃるように、自分のできる範囲で 無理をしない程度に頑張ります。
そらさんも、グルグル回る話に愚痴を言いたくなったら、是非私の所にいらしてくださいね。「そうそう!!」ってお話を聞きますよ~♪
by ようこくん (2007-11-27 18:43) 

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